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山口城(やまぐちじょう)は、埼玉県所沢市山口にあった日本の城。狭山丘陵の標高79から90メートルの南斜面に所在し、南麓部は柳瀬川が流れている。 == 歴史・沿革 == 平安時代末期に武蔵七党村山党の山口家継によって築城された。以来代々山口氏の居城となる。 南北朝時代の応安元年(1368年)新田義宗、脇屋義治の挙兵に呼応した武蔵平一揆のおり、山口高清は一揆の中心・河越氏の側につき、鎌倉公方足利氏満方の上杉憲顕に攻められ山口城は落城。永徳3年(1383年)、南朝の力を得た高清の子山口高治は、祖父山口高実とともに再び兵を挙げ氏満と戦ったが敗北し、山口城に火を放ち自害して果てた。高治の子山口高忠は上杉氏家臣で武蔵国守護代の大石氏に従い、山口城の大改修を行ったが、もともと館であったため別個に勝楽寺村に根古屋城を築き、山口城の城郭としての機能を根古屋城に移した。 その後山口氏は上杉氏が没落すると、後北条氏に仕え武蔵国入間郡山口(所沢市山口)に40貫を知行していたが、1590年、小田原征伐で敗戦。廃城になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山口城 (武蔵国)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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